過去の活動報告

2011年~2012年度 活動報告

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こんにちは。2011年~2012年度ロータリー青少年交換留学生として一年間ブラジルに派遣されていた数永やまとです。

何もついていなかったこのブレザーも各国の留学生達と交換したピンで埋まり、本当にたくさんの友人が世界中にできました。
多くの人の支えもあって大きな問題もなく、無事に一年間の交流活動を終えることができました。
一年間、日本とは全く違う、暑くも湿度の少ない風土、明るく人情にあふれた文化、日本を出るまで触れることのなかったブラジルポルトガル語という言語の中で暮らし、そういったものを学び、またそういったものに慣れ、ブラジルという国を体全体で感じてきました。
一年間の留学中、2 つの素晴らしい家族に恵まれました。

一軒目は 2010 年 2011 年度 2590 地区受け入れのヘナート君の家でした。
彼の父であり、私のホストファザーとなったサダー氏は次期 4540 地区ガバナーだったので、滞在していた 9か月の間、地区中のロータリークラブ例会を夜に回り、訪問したクラブ数は 30 を超えます。
そのため、地区内のほとんどのロータリアンの方々に日本人留学生として覚えていただき、暖かく接していただきました。
帰国前に、最後のガバナー交代の会があったのですが、地区内全てのロータリアンの方々がそろったときに、1000人以上いた出席者のほとんどの方と面識があり、皆さんから声をかけていただいた時に、一年の間にいかに多くの人と出会う機会をいただけていたのかということを改めて実感しました。

二軒目のホストファミリーは今年度の私のホストクラブであった sertaozinho ロータリークラブの会長を務めるセウソ氏の一家でした。
このファミリーには留学生としての立場上、なかなか行くことが難しかったsao pauloの市街へ連れて行っていただきました。
また、会長交代式では今年度のバナー掲揚を彼らの息子として勤めさせていただきました。二つの家族は一年間を通して僕の留学生活を支えてくれました。
多くの親戚がそれぞれにいて、週末には別荘や、その親戚の家で過ごしたりと私は本当の家族のように素晴らしい時間を与えていただきました。

実はこの二軒は隣同士で、毎日通っていた学校への登校もホストチェンジによっての障害もありませんでした。
その学校ですが、到着二日目から始まり、また日本よりも始業時間が 7 時と早く、最初は慣れるのに大変でした。
しかし、明るい気質のブラジル人のクラスメイト達に囲まれ、気が付けばあっという間に皆の中になじんでいました。
ブラジル人達の中にこんなにも早くなじめたのには sertanejo というブラジルで人気の音楽との出会いも一つの要因でした。
このことで皆と話題が作れましたし、まったく知らなかったポルトガル語が自然と聞き取れるようになったようにも感じます。
今でもこのsertanejoは毎日聞いています。そんなこともあって一年間十分に交友を深めることができました。今でも彼らと連絡を取っています。

また、ブラジルを知るために 2 つの旅行に参加しました。
ブラジルの歴史が多く残るブラジル人達の国内観光名所である東北地方を 1 か月かけてバスで回るものと、9 日間、ブラジル最大のイメージであると言えるアマゾンへ行きました。
それぞれ、他地区の留学生達と参加し、それぞれの旅行で普段行うことができない、より多くの国からの留学生達と交流活動を行うことができました。

もちろん、旅行中だけが留学生達とのふれあいの場ではありません。
地区で 1 年間の間に 4 回の留学生イベントが行われ 4540 地区に派遣されてきていた 31 人の留学生達とより深い交友を深めました。
出国前、私は「同年代の友人を世界中に作り、若い世代の絆でより良い世界を作る」という目標を自分に立てました。
しかし、留学生活の中で少しずつその考えは新しく別の物に変わりました。今では若い世代で限定することなく世代も国籍も超えたすべての人とつながりたいのです。
そのためには彼らの事をもっと知らなくてはいけないと思っています。

ブラジルで多文化・多人種の中で暮らして、そのことに気づかされました。
国や人種、それぞれが持つ歴史・文化により異なった考え方や生活習慣があります。
これからはそれを学び、理解する努力をしていき、この留学で得たものをさらに大きくしていきたいと思っています。

このような素晴らしい機会を与えてくださった 2590 地区のロータリーの全ての方々、最初の面接のときから本気で支援し、全力でサポートしていただいているスポンサークラブの川崎南ロータリークラブの方々、また留学中の生活・交流活動を支えてくださったブラジルのホストファミリー、ロータリー4540 地区の方々、僕の留学を全面的に支えてくれた家族、全力で協力してくださった母校・川崎市立商業高等学校の先生方、そのほか僕が留学することを喜んでくれ応援してくれた友人たちや、弓道部の仲間たち、そして一緒に頑張ってきた世界中にいる青少年交換留学生達。
今回の僕の留学にかかわってくださったすべての方々に感謝します。一年間本当にありがとうございました。

移動例会 2012年7月31日

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7月31日(火日)PM6:00に川崎日航ホテル前にて集合。
屋形船(長八)専用バスにて定刻出発いたしました。
屋形船乗り場にはすでに覚正会員夫妻がお待ちになっていました。
まだ外は明るく船に乗り込みました。

会員が揃ったところで村田会長・恵崎副会長・北条幹事・布川SAAが取り仕切り屋形船第5回移動例会が始まりました。
行きの東京スカイツリーまではゆっくりとした船足で船酔いする人はいませんでした。

途中、東京タワーがオリンピックカラー(5色)にライットアップされとっても綺麗でした。
カラオケでは普段見られない光景が次から次へと映し出され、船ではなくその光景に酔ってしまいました。

屋形船で進んでいくと川崎は工場街でしたがさすがに東京に入るとビルが立ち並ぶは大都会でした。

帰りは時間がオーバーした為か猛スピード川崎に戻り現実に引き戻されました。
皆様大変御疲れ様でした。

広報IT史料委員長 小島一幸

移動例会 2011年7月17日~18日

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7月17日(日)AM9:00に川崎日航ホテル前にて集合し18名の参加者で専用サロンバスにて定刻に出発いたしました。

首都高速浅田ICに入る前に布川会員の経営するファミマによりおやつと飲料水を購入いたしました。

当日、東名高速が渋滞していた為、職場見学を予定していたアサヒビール神奈川工場を見学せず即座に直営店でありますアサヒビール園神奈川足柄店でのランチを頂きました。私はビールが飲めないのですが皆様は出来たてのビールを美味しそうに飲んでいらっしゃいました。

満腹になった皆様を乗せて小田原城にある報徳博物館に向かいました。この博物館は米山奨学生であった中国の清華大学准教授憑海鷹(ひようかいよう)さんのご紹介で館長の直々の案内とご説明をしていただきました。二宮尊徳さんは小田原のか山に生まれ栃木県今市で生涯を遂げました。勉強の神様と言うイメージでしたが財政再建と総合的復興に長けた方ですばらしい功績を残された人物であると知り一同は感服したしだいであります。大変勉強になりました。館長様大変お世話になり有難うございました。

洗われた気持ちで宿泊地であるリゾーピア箱根に向かい早々に移動例会を開催いたしました。その後に懇親会を開き会員相互のより深い親睦を極めてきました。

翌日は観光GとゴルフGに別れそれぞれ日頃のガス抜きをして19時前に川崎日航ホテル前に到着し解散いたしました。皆様大変御疲れ様でした。

広報IT史料委員長 林田武

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